住み慣れた街で最後まで暮らしたい。
「最後はずっと住んできた街がいい。」
こう思う人って多いんじゃないでしょうか?
実際、介護タクシーの仕事をしていても看取り期の方を病院からご自宅までご送迎させていただくこともあります。
僕も実際に「もしも余命半年だったら」と自分に落とし込み深く考えたことがあります。
そして思ったのが、
「最後は自宅で家族に看取られたい。」
でした。
今回は、「そんな思いを叶えたい!」という思いを持つ「町さん」という方の講義を僕なりにまとめてみました!
町さんは「10年介護」という本も執筆されている方なので、ぜひ見て行ってください^^
町さんの実体験
〜母をずっと介護してきたヤングケアラー〜
町さんは高校3年生の時、母親がくも膜下で倒れてしまったそうです。
しかも、その1週間後に脳梗塞も起こしてしまいました😱
この時お母さんは40歳だったそうです。
(まだまだお若いですよね。)
大柄だったお母さんもガリガリになって骨と皮だけになってしまったそうで。。
お母さんは右半身まひとなり
町さんは母のしてきた事に加えて、母のお世話を自分一人で全部行ってきました。
お父さんは昭和の人間で、何もしなかったとのこと。。
弟も町さん本人も受験を控えていたりと大変な時期だったのですが
「やるしかない!」
と
介護と同時に当時1000倍の倍率と言われたアナウンサーになったそうです。
話を聞いていると、本当に苦労されてきたんだなとしみじみ感じました。
町さんが伝えたいこと
もしもご家族が病気になったら?
・脳梗塞で片麻痺
・認知症
・筋肉低下
などで今まで通りには行かなくなります。
でも
今までの自分と比べないで、できることに目を向けてほしい!
- できないことではなく、できることに目を向ける
- 一番つらくもどかしいのは本人
- 車椅子でも、母は母
- 「もしも自分っだったら」と考える
- 介護は生活の一部
介護する側が気持ちを切り替えることが大切です。
もし、介護施設に入る際は
ご入居されるご家族の方はどんな人だったのか
これを施設のヘルパーさんに伝えてほしい。
写真を一枚持っていくだけでもいい。
施設の人とのコミュニケーションにもなるし、ご本人のことも知ってもらえるから。
ヤングケアラーが抱える課題
- 自分がヤングケアラーだと気づいていない
- 自分でやるしかないと思っている
- 学校・同級生には相談できない
- 介護保険制度の対象ではないと思いがち
- ケアマネや地域包括は頼れない
自力では負の連鎖から抜け出せない
ヤングケアラー支援に必要なもの
- 弱音や本音が吐き出せる場所や人
- おかれた環境をプラスにする思考
- 将来を描けるような選択を示す
- 子供だけでなく親や家族ヘの支援
- 保護ではなく自立できるサポート
SOSに気づいたら行動を!
町さんのお母さんは結局癌になって亡くなってしまったそうです。
「健康だと過信していたから防げなかった。」
そう後悔したそうです。
だから、
検診をすれば防げた事だからみんなも検診はして欲しいと訴えていました。
看取りの準備
・点滴
・オムツ
・カテーテル
・人工肛門
痛みを和らげるケアもある
「モルヒネ」などの麻薬もその一種
あとは音楽などもケアもあります。
医療設備もナースコールもない自宅で最後を看取るのか
これを決めるのもご本人とご家族。
最後は少し動くだけで足がパンパンになったり、
免疫が落ちているので口がカビだらけに
ゆっくりと死にむかっている。
「なんとかしてください!」
医師の先生に言ってしまうと先生は何かしなきゃいけなくなる。
↓
それは、本人の意思に背いていないか?
考えてみてください。
後悔の少ない最後にするために
「トラベルヘルパー」など最後の外出を支援する専門の方もいる
そういうサービスを使うかも人生会議で話しておくと良いかもしれない。
大切なご家族の最後、後悔のないように本人の希望を叶えてあげてほしい。
看取りとは、余命がわかった瞬間から始まる。
最後の瞬間だけではない。
なので、無理に最後立ち会うことを目標にするのは違う。
大切なのは
「納得して、選ぶ」
・家族のために、最後まで生きる。
・苦しまないで、自分のしたいことをする。
どちらでもいいんです。
みんなが納得する最後を選んでください。
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